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心身症・心因性腰痛

2015年10月30日 (金)

100年先を生きた痛みの先駆者グロテック

グロテックという人物をご存知でしょうか?

彼は20世紀初頭に活躍した心身医学者です。
あのフロイトに影響を与えた弟子としても知られ、
心理学の世界では知る人ぞ知る存在にもなっています。


彼は小さな診療所を構え、そこで患者を相手にする医者でした。
しかし、それは巨大な内的思想世界を持つグロテックの
ほんの表向きの一面を表しているに過ぎません。

フロイトが提唱した"エス"の概念は、実のところ弟子であった
グロテックが自らの著書で明らかにしたものの借用だったのです。


グロテックはすべての病気の原因は"エス"にあるとしました。
"エス"とはフロイトがいうところの"エゴ(自我)"、"スーパーエゴ(超自我)"
よりもさらに奥深くに潜む人間の深層意識、潜在意識のことです。

簡単に言うと、酔っ払ったお酒の席で、本人も覚えていないような
稚拙で子供じみて、卑猥なキャラクターが表出することがありますが、
あのどうにも手の付けられないような幼児的な人格が"エス"です。


"エス"は無意識、潜在意識の奥からその人間を操り、
病や痛みでさえも発症させるといいます。

そのためグロテックは診療にあたって手術や投薬は避け、
ひたすら患者に対してマッサージ療法による治療と、
対話による原因の究明に時間を割きました。

グロテックにいわせれば、すべての病気と痛みは"エス"が意図的に
起こしているものであり、従って手術や投薬のような外面的な
治療にはほとんど意味がないということになります。


この"エス"の概念については著書"エスの本"に詳しいです。


私はたまたま重度の腰痛が発症する前年にこの本を購入していました。
しかし、その時はあまりぴんと来ず、ざっと読み飛ばして放置してありました。

ですが、今こうしてTMSをはじめとする心因性の疼痛について
学んだ身からすると、グロテックの"エス"の概念こそがTMS理論そのものであり、
医学界の異端児であった彼は、今から100年近くも前に、すでにその事実を
見抜いていたということに驚嘆せずにはいられないのです。


TMS理論のサーノ博士は人間の無意識内に潜む親、大人、子供に対する
理解が心身症の治療には必要だとしています。

つまり、人間の心の中には全てを見渡しいさめる親、思慮分別のある大人、
そして、社会的な理屈は通用しない子供が共存していて、
それらが関わり合いながら心理的なバランスをとっているのです。

たとえば表面的には「この恩に感謝しなければ」と内なる親、大人が
思っていても、その先の子供の部分はそうした理屈はおかまいなし。
自分を助けてくれた人を疎ましく思ったり、邪魔に感じたりと、
稚拙さの限りを尽くしているのです。


自分を育ててくれた両親なのだから丁重に介護して当たり前と思っていても、
無意識下では「私の人生を返せ!」と子供の部分は怒り狂っているのです。

しかし内なる大人、親はこうした叫びを抑圧し、無きものとします。
抑圧したところで消えるわけではなく、この蓄積は抑えがたい憤怒となって
ある時臨界点に達し、痛みなどの症状として外部に表れるのです。

また、痛みには、こうした憤怒から目を逸らす役割もあります。



いずれにしても、根本には内なる子供"エス"の稚拙ともいえる
しかし爆発的な怒りが、原初の原因として潜んでいるのです。

従って、これをうまく発散できれば痛みもコントロールできるということになります。

気の置けない友人たちと気楽に語らったり、好きな趣味に没頭したり
という行動が、痛みの軽減にどれほど効果があるかは計り知れません。

自然に触れ、その雄大さに身をつつまれたり、
大好きな趣味に興じている間は、痛みを忘れるといった経験はないでしょうか?



真面目で几帳面な完全主義者に神経性疼痛が多いのは、
自らの内なる"エス"を無視し、自分はそんな面などない、
完璧で立派な人間だと押し殺しているからに他なりません。

どんなに表向きを取り繕っても、内なる"エス"はたしかにそこに存在し、
声にならない声で叫び続けているのです。


グロテックは100年前にこのことに気づき、病に対して外科的ではなく、
心身医療的なアプローチをしていました。

そして彼の提唱した"エス"こそが、TMS理論をはじめとする
あらゆる心身症を解決する鍵だと感じています。



"内なる子供の声"に、耳を傾けることからすべてが始まるのです。

信じきれない私がわるいのか...

腰痛は改善したものの、今度は前立腺炎が発症してしまいました。

今年の6月から現在まで、快癒の目処はたっていません。

しかしこれもまた疼痛全体のいい研究材料といえるでしょう。


もしこれらの疼痛の根本原因がすべてTMSによるのであれば、
未だ構造論的な原因の可能性も捨てきれずにいる、
私自身に半端な信がTMSに力を持たせている可能性もあります。


そもそも、腰痛が終わった途端に喘息が始まり、
喘息が治まった途端に頻尿が始まるという流れもおかしなものです。
なんでしょうか、この切れ目のないタイミングのよさは。

2つの症状が重なるということは決してなく、
常にひとつの症状にターゲットが絞られていくのです。
この現象を覚めた目で眺めれば、これこそTMSそのものという
感を持たざるを得ません。


実際、前立腺炎が終わったら、次は何がくるのだろう?
という怖れもぬぐえないのです(笑)
笑い事ではありませんが... 。


そこで最近、再びTMS関連の書籍に目を通し始めています。
一般生活をしていると、どうしてもテレビなどから知らずのうちに、
痛みの原因は肉体の構造にありとする概念がしみついてきます。
一般の情報は九分九厘、構造論で痛みを扱っています。


これをデフォルトとしている限りは、TMSの天下が続きます。
私自身、これについてはもう一度、手綱を引き締めなおすつもりです。

2014年5月12日 (月)

心身症としての腰痛? 構造的疾患としての腰痛?

私は今、大変な岐路に立たされています。


もしかしたら、今までの記事はすべて削除すべきではないか?

とすら考えています。


自分の腰痛は椎間板ヘルニアが原因であり、そこから坐骨神経痛や

筋筋膜症の疼痛など、様々な症状が発生していると信じてきました。

いえ、今でもそれはきっかけになっている。

いや、それどころか、直接的に痛みに通じているかもしれない…

そう考える自分もいます。


しかし、何ヶ月も右側に突出していると思っていた椎間板ヘルニアは、

実は誤診で左側に突出していたのが判明して以来、

私のそうした信念は大きく揺らぎ始めました。


そして偶然にも、時を同じくしてサーノ博士や長谷川さんのTMS理論や、

作家の夏樹静子さんの著書「椅子がこわい」といった、

心因性の側面から腰痛を捉える概念に触れ始めたのです。


現在も「サーノ博士のヒーリング・バックペイン」や、

「心はなぜ腰痛を選ぶのか」といった本を読んでいます。


新興宗教のマインド・コントロールにはまった者が、徐々にその洗脳から

解かれていく過程とはこのようなものでしょうか?

サーノ博士が示す症例や、夏樹さんの症例があまりにも自分に近くて、

読んでいて「これは私のことだ」と何度思ったかしれません。

しかし、そこに示された症例の激しさに比べれば、

自分のものなどまだまだかわいいものだと思わずにいられませんでした。


ですが、規模は小さいとはいえ、私も一時は死を意識した時もあり、

やはり心因性ならではの増幅された痛みを味わっていたのは間違いありません。

あの、この世ならざる痛みは、ある種のパニック症候群のようなもので、

1の痛みを脳が10にも100にも増幅していたのです。


腰痛に関する過剰な情報・知識の収集や、それについて一日中、

考えをめぐらすといった行為が、痛みの増幅と停まらない悪いサイクルを

強固なものとしていたのです。


つまり何もかもが「脳の中」で起こっていたと言えるかもしれないのです。



さて、今の私はどうした立場をとるべきでしょうか?


「心身症としての腰痛」という概念に接してから、その考え方や理論への

理解が進むほど、自分の症状が軽くなっているのは明らかです。

あれほど寝起きが痛くて辛かったのに、最近はあまり苦にせず起きています。

怖くて乗れなかった自転車にも数ヶ月ぶりに乗り(勇気を振り絞りました)、

その後、痛みが出るのではないかと思っていましたが、

かえって楽になったぐらいでした。

少なくとも自転車による痛みは出ていません。



以前、私は記事で「日曜と火曜と金曜が一週間の中で痛く辛い」と、

何の気なしに書いたことがあります。

ですが、よく考えればそれもおかしな話です。

なぜ、その三つの曜日なのでしょうか?

なぜ、月曜や木曜、土曜は楽なのでしょうか?


生活のパターンは特に変わりありません。

ただの思い込みとしか言いようがありません。


つまり、「脳による条件づけ」です。

日曜と火曜と金曜はずっと痛かった、だから今日もそうなるだろう。

反対に月曜と木曜と土曜は楽だった、だから今日もそうなるだろう…

という勝手な思い込みです。

そして脳はその通りに反応するのです。



今まで書いたことがありませんでしたが、今回の激しい腰痛が発症する

数ヶ月前に、家族が大病に見舞われ、私の生活も一変し、

心身ともに疲れ果てるという時期が続きました。


また、同じ頃、夏樹さんではありませんが、10年来続けてきた仕事に、

精神的なストレスを感じていて、どこかで休みたいという思いもあったと

今になって振り返るとわかります。


こうしたできごとはどれも心に纏わることがらばかりで、

肉体的にはそれほどしんどいということもなかったのです。

むしろ生活が一変する以前の方が、趣味のサイクリングやウォーキングなど

より肉体を酷使していたと言っても過言ではないほどなのです。



…私は今回、今の自分の状況をリアルに残すために、あえてどっちつかずの

揺れる精神状態のままで、この記事を書いています。

現在は、TMS理論にのっとり、自分の腰痛を叱りつけたり、

痛みが来てもあえて見守り、相手にしないといった内的作業をしつつ、

もう一方ではマッケンジー法にのっとり、上体を反らしたり、

椎間板の圧を逃すことを心がけたりもしています。

優柔不断ですが、これが偽らざる現在の状況です。


ただ、欠かさず通っていたカイロはやめました。

整形外科のトリガー注射もやめました。


薬はリリカとデパスだけ飲んでいます。

リリカは神経に、デパスは脳へのアプローチです。


あとはとにかく、「心のやすらぎ」を保つことをこころがけています。

脳の緊張や興奮が、神経、そして筋肉の緊張につながり、

それが痛みを発生させることは明らかだからです。


あとは、痛みの原因には筋肉の酸素不足が考えられるということで、

深呼吸を多めにするようにしています。


痛みを生むのはエゴ(自我)やスーパーエゴ(超自我)なので、

彼らに操られないように、揺るがぬ「意識的な自己」を

確立させるように努めています。

「意識的な自己」からエゴたちの策略を見張るのです。

すると、不要なパニックを回避することができます。


脳は自らの精神的傷みを隠すために、腰痛などの肉体的痛みを生み、

意識的な自己の視線をそちらに逸らそうと必死なのです。

ですから「もうわかった、そんなに必死にならなくてもいいから。」と

彼ら(脳)に語りかけるのです。

すると次第に彼らは抵抗をやめ、痛みを生む行為を緩めるのです。


つまり、多少の痛みが起きても「これは幻なんだ」と突っぱね、

相手にせずに普段通りの生活を心がけることです。

それで悪化することなどありません。

そのことによって、痛みの原因は肉体的疾患にはなかったと、

自らの実感として体感することになり、

その自信がまた回復を早めていくのです。


怒りや不安、パニックに巻き込まれないことです。

それらに動じない揺るがぬ不動の自己を確立させることです。

それには常に、自分に意識的でいることです。

いつも、自分の心の動きや思考を見張り続けることです。


「敵は本能寺にあり」


自分(脳)の中に潜む、痛みの発信源の存在を意識し、

それには屈しないという強い気持ちと信念が大事なのです。

しかし、力まず、心は穏やかに…

つまり、明鏡止水、悟りのような心境でしょうかね。


そうした精神的な基盤の確立が、心身症としての疼痛治療には、

もっとも大切なことがらだと感じている昨今です。


P.S. 実はこの記事を書き出した時も、椅子に座ることの痛みが

腰に発生していたのですが、

無視して書いているうちに最初の痛みは薄らいできました。

昼間、久しぶりに自転車に乗った時も、同じようなことが起こりました。

相手にしなければ、痛みは過ぎ去るのです。


腰痛の根本治癒をめざして

  • ある日、私を襲った激しい腰痛。そこから腰痛との闘いと研究の日々が始まりました。現在は急速に持ち直し、また元の穏やかな日常を取り戻しつつあります。 そこでこのブログでは、強度の腰痛から帰還した管理人の体験を軸に、腰痛の根本原因と治癒方法を探っていきます。 私の体験が、少しでも多くの辛い思いをされている方々の助けや救いとなれば幸いです。
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